| 本章では次の文などについて学びます You come see me. You are in here. You come on in over here. Look what you have done. |
| You come see me. You are in here. You come on in over here. Look what you have done. |
この原理の根本的な思想は、英語に限らず全ての言語の構造は単純でなければ ならないという考え方です。言語が言語であるためには、その言語が使われている共同体に属する人間の最低の知能の持ち主にも理解できる構造、つまり非常に単純な構造をしていなければならないということです。世の言語学者は言語というものはいかに複雑な構造をしているかということを証明することに執心されている場合が多いようですが、いかなる言語にも相対性理論のように一部の限られた者だけが理解できるような複雑な構造など存在するはずがないことは明らかです。英語の構造がごく一部の優秀な頭脳の持ち主にしか理解し得ないものであるとすれば、英米人の幼児の方がほとんどの日本人よりも優秀な頭脳を持っているということになってしまうのです。英語を生業としている日本の多くの人々にとって、商売道具である英語が英米の幼児にでも理解できるほど単純な構造をしたものであるということを認めるのは非常に辛いことかも知れませんが、事実は事実で、全ての考察の基礎は、先ずこの事実を認めることから始まるのです。
結論として、英語を含めた全ての言語は単純な構造をしていることは理解できました。しかし、非常に複雑な状況、思想、概念、感情が単純であるはずの言語によって表現されているというこれもまた疑いの無い事実をどのように説明すればよいのでしょうか? 問題を要約すれば「単純な構造で、どのようにして複雑な内容を表現できるか?」ということになります。結論から述べますが、言語にとって許されるであろう最大限の複雑さとは、情報の最小単位の単純な和です。つまり、A=X, B=Y という2つの最小情報単位を表現したければ、この2つの単位を単純に並べればよいのです。その結果、AXBY. という「文」ができるのです。
次に「省略」について説明しますが、これは、上のA=X, B=Yにおいて A=B の場合は、A=X, A=Y となり、これを単純に並べれば、AXAYでもよいのですが、重複を避けてAXYとなる ことがあります。
「重ね合わせ・省略の法則」は全ての英文の根底になっている大原理です。よく考えてみれば、全ての英文に適用されなければ「法則」などと呼ぶことはできないのです。但し、英語学習者は、ある「重ね合わせ・省略の法則」以外のある主観的な規準を基にして、英文を見ているため、「重ね合わせ・省略の法則」という観点から見れば全く正常な英文であっても、「異常に」映る英文が存在します。例を以下に挙げておきますが、通常全く異常だと思わない英文にもこの法則が貫徹しているということを理解しておく方がもっと重要です。
現実に使われている英語が既存の法則で説明しきれない場合、その英語を否定するこ とによって既存の法則を守ろうとするような態度からは何も新しいものは生まれてきません。既存の法則を見直し、あるいは否定することによって、現実の英語を説明できるような体系に作り上げていくのが正しい態度です。
「重ね合わせ・省略の法則」は「英語は単純な情報の羅列で、重複する部分があれば省略することができる。」とまとめることができますが、重ね合わせ省略の結果としてできた文は、種々の形態をとります。ここでは、次の場合について説明します。
| 元の文 | 重ね合わせ省略の結果 | |
|---|---|---|
| 副詞句 | He came home. He was hungry. | He came home hungry. |
| 副詞節 | I am glad. You said it. | I am glad you said it. |
| 名詞句 | I start. I am to talk. | I start to talk |
| 名詞節 | I know. You did it. | I know you did it. |
| 関係節 | I met the boy. You are talking about the boy. | I met the boy you are talking about. |
という文ができます。この "hungry"のようにそれを取り去っても、"He came home." の意味に影響を与えないものを「副詞」と呼ぶことにします。例えば、He was at school.から"at school"をとってできる、"He was."は "He was at school."の場合の "He was"とは大きく変わってしまっているため、"at school"は「副詞」とは呼びません。"He came home, hungry."における "hungry"という形容詞は副詞という言い方をします。 従って、"hungry"のような「通常の形容詞」以外の他の形容詞も "hungry"と同じように使われます。もちろん、"He came home."と "He was hungry."という二つの文の内容を同時に表す方法はこの方法だけではありません。この二つの文の因果関係をより明確にするために、「接続詞」などを追加することもあります。また、"He was hungry."と"He came home"の順番を反対にしても、基本的には意味が同じはずですから、"He came home, hungry" = "Hungry, he came home."という文も可能です。
以上を要約すれば等があり、太字の二つの文が「副詞句」構文で、この副詞句が "He"の補語になっているため、本書では C'構文と呼んでいます。次の表は、副詞句(=C')として種々の形容詞が使われるということを示しておきます。
| 形容詞の種類 | C’構文 | 学校文法の呼称 |
|---|---|---|
| 通常の形容詞 | He came home hungry. | |
| 前置詞+名詞 | He came home in a hurry. | |
| 現在分詞 | He came home running. | 現在分詞構文 |
| 過去分詞 | He came home,excited | 過去分詞構文 |
| 形容詞節 | He came home just as he was before he left. | |
| 主語付き形容詞 | He came home his hands in his pocket. | |
| to + 不定詞 | He came home to see his brother. | 不定詞の副詞的用法 |
おそらく、学校文法は上の表を認めないでしょう。あの難解な分詞構文が"He came home in a hurry."という簡単な文と同種の文であることなどは絶対認めたがらないのです 。上の表から分かるように「C'構文」とは広義の分詞構文のことです。学校文法でも、副詞句の部分の"〜ing"の主語は、主節の主語に一致させなければならないという注意を与 えていますが、この注意は、全ての文に適用されるのです。このことは、英文を作る上で絶対守らなければならない大原則なのです。但し、自然に英文を作るプロセスは、以下に示すように進むため、日本の英語の先生が主張しているような、複雑で、込み入った構造に従って英文を作ろうとしない限り、この原則を守ることは簡単なことなのです。
上の文を通常の表記法に従って表記すると
His wife is out in front in the car with someone, trying to do something, her dog barking at her.
下線部分の形容詞が副詞句(=C')として、単純に追加していけばよいのです。このような大原則であるにもかかわらず、文法書でほとんど取り上げないのは、英米では注意する必要のないほど当然のことだからです。そもそも英文法書に記載されている事項は英米人にとって不可解な現象や、説明不可能な現象だけであると言っても過言ではないのです。例えば、"look forward to see ..." ではなく、"look forward to seeing ..." でなければならない理由は英米人でも分からないため、注意として記載されてい るのです。日本語でも「わたしわ」でなく「わたしは」と表記しなければならない本当の理由は知られていないし、知る必要もないため、ひらがなを勉強する日本人にこのことを注意しているのです。私達日本人にとってひらがなを勉強する際に注意しなければならないのはこの「は」の他に「これを」の「を」や「ここへ」の「へ」だけですが、日本人以外の人達が"table" という語をカタカナ表記することは非常に難しいことであるということに気づいている人は非常に少ないのです。"table" を「テーブル」と表記する方法は日本人には教える必要はありませんが、外国人には必要なのです。そして、この方法は恐らく日本人以外の人によって考案されなければならないのです。英文法についても同様で、英米人が書いた英文法の事項は「は」「を」「へ」に相当するようなものばかりで、「テーブル」に相当するようなものはあまり記載されていないのです。英米の文法書や、それをコピーしたに過ぎない日本の英文法書等をいくら熱心に読んでも、英文の本質に触れることなく終わってしまうことが多いのはこのためです。
「副詞句(=C')の場合は、重ね合わされた元の文の主格補語("Hw was running"の "running"が、新しくできた文の副詞 ("He came home,running." の "running")となっていましたが、これはたまたま、もう一つの文が、"He came home."という文であったからそ のような結果になっただけです。 "He came home".の代わりに "He started."という S+V文型を使うと、"He was running."との重ね合わせ・省略の結果は、He started running.となります。このとき、元の文では完全自動詞として使われていた"start"は、新しくできた文では、他動詞のように見え始め、元の文では主格補語として機能していた "running" という現在分詞(形容詞)が、他動詞 "start"の目的語である名詞として機能してい るように見え始めたのです。このような「錯覚」が定着したときに「動名詞」という概念が成立したのです。”running"がなぜ名詞であるかという本当の理由は錯覚ですから、論理的にあまり正しくない認識が存在するということになります。この場合は「"run"のよ うな原形不定詞(俗に言う”動詞の原形”)の語尾に"〜ing”をつければ動名詞になる。」というあまり正しくない認識が存在しています。注意しておきたいのは、言語構造にとってはこのような「論理的不整合さ」はその存続を決定する最終要因にはならないのです。「原形不定詞の名詞的用法」(例えば "run")というものが当初から存在していましたが、形態的には"verb"として使われる "run"と区別がつけることができなかったという世界から、論理的には少々問題があるが「"running"にすれば名詞にすることができる」とい う規則を導入して、名詞であることを明確にすることができる世界が出来上がったのです。おそらく、このような「錯覚」、「誤解」、「規則の拡大解釈」等がが原動力となって言語は発展してきているののです。動物の鳴声とあまり変わらない「言語」を使っていた人類が、その当時の「規則」を忠実に守っていたとするならば、現在の私たちが使っている高度に発達した言語には発達していなかったはずだからです。
上の場合は、形容詞である現在分詞が、名詞である動名詞としても機能するようになった事情を説明したものですが、この「形容詞」=>「名詞」の変化はまだ他にもあります。 最も代表的なものは「to + 不定詞の形容的用法」=>「to + 不定詞の名詞的用法」です 。この成立過程は「動名詞」の場合と全く同じで、現在では「原形不定詞の前に"to"をおけば名詞化することができる」という認識が存在しています。英文法の先生方は相変わらず、「この〜ingは、現在分詞なのか、動名詞なのか?」という論争を続けていますが、そのような論争が存在すること自体が、現在分詞と動名詞は同一起源であることの大きな示唆になっていることに気付かないのです。それよりも、先ず第一に「現在分詞」と「動名詞」がなぜ同じ形をしているのかということに興味を持つのが自然だと思いますが...
重ね合わせ・省略の結果、主語を省略しなかった場合、または省略できなかった場合で、元の文の一つが「副詞」となっている場合は、その文を副詞節と呼びます。例えば、
を重ね合わせると(この場合が、主語が省略できない)
I am glad you said it. となり、下線部分 "you said it"を取り去ってできる "I am glad."は独立した文として成立するため、"you said it" は副詞です。厳密にこの 副詞の定義を適用すると、"I am glad."も "you said it "に対して副詞であることは頭 の体操として理解しておいてください。静止物体に働く「重力」と「抗力」のような関係で重力ばかりが注目されていることは、客観的には正しくないのです。
学校文法では上の例における、"you sait it"は副詞節ではなく、名詞節とみなしている 場合が多いようです。"glad"という形容詞の「目的語」(つまり、"glad"は「前置詞」)という考え方を導入しない限り、"you said it"は名詞にはならないはずですが、なぜこ れを名詞節という理由は明らかにされていません。この文と全く同じ構造をしている文として次のようなものがあります。
この文も明らかに、次の二つの文の重ね合わせ(「省略」はなし)の結果です。
「文頭に”that"を置けば名詞節になる」という法則が英語という言語が発生したときから存在していたということを大前提としている文法学者の先生方は、何故、
I am afraid of that it will rain. のように "of"という語を使わないかとい う疑問に答えることはできないのです。"be afraid of + 名詞"というパターンを覚えさ せられ、「文頭に”that"を置けば名詞節になる」ということを教えてもらえば、"I am afraid of that it will rain."となるはずですが、実際は "I am afraid that it will rain."となるため、先生方は次のような人を馬鹿にしたような説明をしているのです。
「英語は学問ではない」などとよく自分で言っているようですが、そのようなことは言われなくても、この説明を聞くだけで英語は学問でないことがよく分かります。
次に学校文法が「副詞節」と呼んでいるものについて説明します。学校文法では、次の文の下線部分を「副詞節」と呼んでいます。
しかし、理論的には、「関係副詞」の項で説明しているように、”when he arrived" は形容詞節なので、下線部分は "C' なのです。"when he arrived"が形容詞であることが納得いかない人のために、ここでもう一度説明しておきます。
下線部分は明らかに形容詞です。次に示すように「副詞句」の項で説明した例文の副 詞句(=C')をこの形容詞で置き換えただけです。
"when you left"という形容詞節はC'として機能しているため、副詞の定義に合致し 、このように節で副詞の機能をもっているものを副詞節と呼んでいます。他の関係副詞もほぼ同様に使われて副詞節を形成することを示しておきます
学校文法では 「接続詞」の"when"や"where"と「関係副詞」の"when"や"where"は全く別のものであるという扱いをしていますが、ここで説明したとおり、「接続詞」の"when"や"where"と「関係副詞」の"when"や"where"は同じものなのです。だから、同じ形をしているのです。そして、「この関係副詞は接続詞のように使われている」という用語の使い方をします。
名詞節という概念は次のような重ね合わせ(省略はなし)の結果から生まれてきてい ます。
(A) + (B) = I know you will succeed.
となり、下線部分が "know"の目的語のように見え始めたときに、名詞節が成立します。但し、この場合は名詞句の「to + 不定詞の名詞的用法」や「動名詞」の場合のように、「原形不定詞の前に "to"を置いたから」とか「原形不定詞の語尾を〜ingにしたから」等とそれらが名詞である理由(本当の理由はただの錯覚)が存在しないため、この文からはほとんど新しい認識は生まれてきません。新しい認識を生み出したのは、次のような二つの文の重ね合わせです。
(A') + (B) = I know that you will succeed.
という文が作られますが、この文の見方が次のように変化します。
I know that you will succeed.("that"は"know"の目的語)
学校文法によれば接続詞の"that"は「名詞節をつくる"that"」だけですが、実際の英語では更に進化した"that"が存在します。もちろん、この "that"も「誤解」の結果です 。一般大衆は次の文の "that"を次のように誤解することによって発達させてきたものと 思われます。
| "that"の機能 | ||
|---|---|---|
| (1) | I know that you will succeed. | 代名詞 |
| (2) | I know that you will succeed. | 名詞節を作る接続詞 |
| (3) | I know that you will succeed. | 文の 区切りを示す接続詞 |
(3)が最も現代的な "that"ですが、次のように使われます。
学校文法的な考え方では、”afraid"という形容詞の後に名詞節 "that it will rain."続くことが説明しきれないのです。これに理論的な整合性を持たせるためには、"afraid"を「前置詞」として認める以外に方法はないのですが、さりとて "afraid"を「前置詞 」と呼ぶ勇気がないのです。「重ね合わせの法則」という単純な法則を認めようとせず、「名詞節」という高級な概念でこの問題を処理しようとするためにこのような矛盾が発生してしまうのです。また、ここで注目したいのは、"I am afraid it will rain."は "I am afraid that it will rain." から "that"が省略されたものではなく、"I am afraid that it will rain.は "I am afraid it will rain."に "that"を挿入 したものであるということです。
この他にも、この「区切りの"that"」は主に次のような関係副詞節に使われています。
学校文法ではこのような "that"を「関係副詞の "that"」と呼んでいるようです。
関係節の起源は確かに、次のような「重ね合わせ」の結果であったことは間違いなさそうです。
また、次の重ね合わせも上と場合と同じ意味になるはずです。
但し、ここで注意しておきたいことは、関係節の理解においてその重ね合わせ・省略による起源を知るということは、それほど重要なことではないのです。関係節が英語においては非常に発達した認識であるからです。例えば、ヒトがアメーバのような生物から発達してきたからといって、アメーバを研究すればヒトが理解できるとは言えないのです。関係代名詞が代名詞から発達したからといって、あるいは関係節は一つの独立した文から発達したからといって、関係節は独立した文ではないのです。非常に発達したものを論じる場合は、その起源との共通点よりも、その起源との相違点の方が重要なのです。最近よく英文法を「批判」する人の中に、"I met the boy whom you were talking about." な どの関係節を含む文を1つの文とみなさずに "I met the boy." と"You were talking about him." の二つの文としてみるべきだと主張している人がいますが、この人達はの英語に対する感覚は完全にズレているようです。このような考え方は、関係代名詞と普通の代名詞の区別を否定する考え方であり、関係節と副詞節の区別を否定する考え方であることを意味しているのです。このような考え方をしている人は次のような日本語の名詞(文ではない)英語で表現するのを苦手としているのが特徴です。
これは、関係節が形容詞節であり、形容詞節は日本語の連体修飾節(「私と一緒に働いて いる」「彼が落ちた」,「私が結婚している」等)に対応していることを知らないとできないからです。このような人は次のように完全な文を与えなければ、英語にすることができないようです。そして括弧の中のような考え方しかできないのです。
関係節について重要なことは、上の括弧内のような考え方をしないことなのです。関係節についての詳しい解説は「関係節」及び「関係節の拡張」を参照してください。
S+V+O+C 文型の文は次のような二つの文の「重ね合わせ省略」の結果です。
このように、S+V+O+C 文型の文は常に、それに対応する S+V+O文型 (O = 名詞節)の文が対応しています。但し次の表に示すように、S+V+O+C 文型の文とS+V+O文型の文のどち らも実際に使われているとは限りません。
| S+V+O文型 | S+V+O+C文型 |
|---|---|
| I find it is easy. | I find it easy. |
| I expect you are to come. | I expect you to come. |
| I want you are to come. | I want you to come. |
| I let he come. | I let him come. |
| I allow you are to come. | I allow you to come. |
斜字体(イタリック)の文は実際は存在しません。どの形態が実際使われているか、いないかは、感情レベルの一致するかしないかによって決まるもので、これは本質的には仮定法の問題と同じです。つまり、"I allow you are to come"という形が使われないで、"I allow you to come."という形が使われる理由は、"I wish she is here."という形が使われないで、"I wish she were here."という形が使われる理由と同じであるということです。